土質物語
★土木工事ことはじめ
人類と大地との関わりは5万年ほど前から始まっていました。当時は旧石器時代で、まだ土木用道具とかはもちろん発明されていません。旧石器時代は土木工事の必要性は全くありませんでした。残されたサークルストーンなどの巨石遺跡でも、工事の跡は見られません。5千年前の古代エジプトの巨大遺跡では土木工事が行なわれていました。ピラミッドの地下に埋もれている部分は解明されていませんが、かなりの工事が必要であったはずです。中国では風水が殷・周時代(紀元前10世紀以前)に誕生し、土木に生かされ始めました。元々の意味は、その土地の風の流れと水利を判断するものでしたが、地理(風水と同義)というその土地の起伏や水の流れを格付けするもので、現代の土木工事に通じるものでした。
万里の長城は古代における最大規模の土木工事である。
万里の長城は古代における最大規模の土木工事である。
その後、目に見えないものや方位を考慮する易(理気)というものが派生しましたが、科学的な根拠はありません。本来の風水による都市計画は土木が基本にあり、中国の技術レベルの高さに驚かされます。万里の長城を始め多くの建築物は高度な土木技術に支えられています。日本では中国から伝えられた土木技術により縄文時代にすでに土木工事が始まっていました。青森県三内丸山遺跡が現在では最も古い土木工事といわれています。古墳時代では天皇陵、都の造成、治水、開拓、戦略に土木工事が用いられています。
★土質の見極め
古代においては土質を検査する技術は定かではありません。しかし、干潟や湖の干拓工事や築城には、風水における地勢の観察、その土地の歴史を知ることで土質を推測したものと思われます。土質を知ることによってどの土木技術を採用するかを決めていました。現代のようなボーリング技術などがまだ存在していない時に、土質を見極める知恵を持っていたことは驚きです。日本は特に、岩盤のような地質ではなく、土であったり、沼地であったり、難しい土木工事を必要としました。建築においては土質を見極めることは、基本であったことはいうまでもありません。最も多くとられたやり方は、とにかく硬い地盤まで掘り下げ、そこから粘土質の土を積み上げて強い基盤を造りました。つまり、土質に対して労力で迫っていたことが伺えます。日本の古墳などでそれを確認することができます。
★土木工事の技術の歴史
日本などの土木工事で最も用いられたのは版築です。版築という技術は、土や砂利などを混ぜ合わせ基礎として固めていく技法です。版築技術は版築するところを両側を板材で囲み枠(高さ10ápほど)を作り、土に小石や砂利、藁や粘土を混ぜたりしながら突き固めていくというものです。この版築を何回も重ねて行い、強固な土台を作り上げて行きました。ここで、石灰などを使用している例も多々あります。代表的なものに始皇帝が築いた万里の長城の版築には黄土に石灰が混ぜられています。土木工事に長けていたのは中国だけではありません。古代ローマも当時としては最高の技術を持っていました。ローマといわれてまず思い当たるのが石造建築ですが、実は土木には木材が多用されました。ローマ兵達はまずは周囲の森林より木材を集め、瞬く間に橋や城を作り上げたといわれています。ローマ軍は大軍を速やかに移動させるためアッピア街道やアウレリア街道を建設しましたが、そこにも高度な土木技術が見て取れます。道路は敷石を敷設しますが、土台の維持が重要でした。風雪に耐え凹凸が出ない路面であることが要求されるからです。ここにも土質の把握が鍵を握っていたことが分かります。
★土質検査の重要性
建造物は土台の上に建設されます。土質を正確に把握し、基礎を作ることが基本です。昨今、土質検査で手を抜き、基礎打ちを不十分なまま建設したマンションなどが社会問題にもなっています。土質を知り、それを生かすことが信頼に結び付くのはいうまでもありません。こうした検査の意義を無視し営利に走ると大きな事故に繋がるという教訓を忘れてはならないと思います。
デジタルハリウッド大学院教授 南雲治嘉